【D】苦難の先に見つけたもの

昨日、僕のYoutubeチャンネルにとある動画を投稿致しました。今回は、その動画について書きます。

ドイツへ初めて移住した2011年から、早いもので12年が経過し、13年目を迎えました。住民票はずっとドイツにありましたが、途中、実質キプロスにメインで住んでいた時期もあるので、純粋にドイツで暮らした期間がようやく先日10周年を迎えた状況です。そんな自分自身の節目となる瞬間に、色々と語ってみた回です。

内容としては、以前投稿致しました動画の続編に当たるものです。せっかく憧れた土地にやって来たのに、物事が上手く行かず、1人孤独に悩んでいらっしゃる方に向けて、是非届けたいメッセージがあります。それは「人生目標を見失わず、自分らしくしっかりと生き抜くことの大切さ」です。

僕にとって憧れだった国・ドイツに暮らせるようになって、幸せいっぱいではありましたが、移住後数年間は苦難の連続でした。留学経験のない僕にとって、旅行でちょっと見て触れたことがある程度のドイツの景色しか知らないまま、ミーハーな気持ちで移住してしまったのです。そんなもので、移住が決まった際には両親からは「旅行でちょっと行って良かったと思うのと、実際に暮らしてみるのは違うし、ちょっと何かに躓いては挫折してすぐに帰って来ることがないように!しっかり頑張って!」と、心配混じりの激励の言葉を貰えました。もちろん、そのような不安は僕自身の中にもありました。現地日系企業・日本人をメイン顧客に持つ、日本人チームがある会社で働くという条件であるにしろ、ろくにドイツ語も出来ない状況で、果たして自分はやっていけるのか、もしも自分が通用するような世界でなかったら、または憧れたはずのドイツに絶望するようなことがあれば、恥を忍んでさっさと見切りを付けて日本に戻ろうと考えていました。

そんな思いで移住をしてから、気付けばあっという間に10年以上が経過しました。正直「ドイツ社会で通用している」という自覚は一切ないのですが、数々の困難を乗り越え、そして日本に戻るという選択肢を取らずに、しぶとくまだドイツで生き続けている自分自身に驚きます。まだまだ落ち着く感じが見えませんが、変わらず楽しく過ごせています。しかし、移住当初の若かりし頃は、本当に苦難の連続でした。

僕はドイツで最初に入社した会社で、当時の上司や先輩たちからとんでもないいじめに遭いました。毎日些細なことを大事のように取り上げられたり、無意味に怒鳴られたり、身に覚えのないことを執拗に言われ、挙句の果てには、移住から約5カ月経ったある日、突然社長から呼び出されて「良好な日本人チームの輪を乱した」「健康状態も良くなさそうだ」という理由で解雇されました。最終出勤日となった日には、今後の再就職を妨害してでもドイツに暮らせなくしてやるなどという脅迫も受けました。

僕がドイツで最初に取得した就労VISAは、1年間の会社名入りのものでした。つまり、その会社で働けなくなった以上、実質就労VISAは無効となったのでした。「海外暮らし」初心者だった僕には、恐れていたことがありました。観光目的として滞在出来る日数を超えて滞在した状態で、いきなり就労VISAが切れてしまっては、オーヴァーステイ、強制送還になってしまうのでは⁈という心配がありました。しかしドイツでは、就労許可と一緒に許可された滞在日数の部分は引き続き有効で、即日本に戻らなければならない、または強制送還になる可能性があるなどの逼迫したレヴェルの話ではないという状態でした。就労許可の部分のみ無効状態ではありましたが、別の就職先を見つけて就労許可を再申請することが出来るので、自分自身の貯金が許す限り、また気合の続く限りドイツに残る道を選んだのです。

僕自身の気持ちに火を点けたのは、僕をいじめた当時の上司、先輩たちがドイツ生活を楽しんでいなかったことでした。ドイツに自分たちの意思で勝手に来ておきながら、口を開けばドイツ文化やドイツ人の勝手なイメージをこじつけて悪口ばかり、ドイツ語もろくに勉強してもいなかったのです。ドイツに来たきっかけも、ドイツを目指してやって来たのではなく、「なんとなく」だったようでした。僕は少なくとも、ドイツに対して情熱・憧れを持った状態で、移住をしました。暮らし始めてからの日々も毎日、目に映る全ての景色に癒されていたのが、別にドイツを好きでもない人らに「お前に居場所はない!」「さっさと日本に帰れ!」と言われたことに対し、「こんな奴らに追い出される形で日本に帰国したくない!」と、腹立たしく感じたのです。絶対にここから這い上がってやろう!と心に誓ったのです。

デュッセルドルフの日本人社会に、ある程度幅を利かせている方を敵に回してしまったようでしたが、僕が学生時代に憧れたドイツの景色はデュッセルドルフではないし、当たり前ですがドイツにある街はデュッセルドルフだけではありません。「アウェーの地」で戦い続ける意味もなさそう…ということで、他の街への引越しも視野に入れて、その時の自分に出来ることを自分なりに一生懸命、ひたむきに取り組みました。

僕にとって物凄く幸運だったことは、素敵な人たちとの出会いでした。会社内でずっといじめられていた最中に、直接的には誰も僕を助けてはくれませんでしたが、職場以外の場所で、元同僚たちが食事に誘ってくださったり、色々と悩み相談を受けてくださいました。解雇後も、食事を頻繁にごちそうくださったり、転職の方法をアドヴァイスとずっと励ましの言葉をくださた方々もいました。レストランで食事中に、相席になったところから話し掛けてくれ、色々な話をするうちに、そのまま友達になった人たちまでいます。ドイツに移住した当初は、会社の同僚たちくらいしか知り合いがいないという状態が長く続きましたが、会社をクビになってから、素敵な知り合いが徐々に増えて行ったのでした。素敵な人たちに囲まれながら、いよいよ貯金が底を尽きかけた頃に、無事に再就職が決まりました。

その後、ドイツでの就労VISAが安定した頃に、知り合いの伝手で「やりたかった仕事」に出会い転職するのですが、残念ながらそこの「某日系企業」と当時の日本人上司がとんでもなかったのでした。人生で初めて男性の上司からセクハラやモラハラを受け、精神的な苦痛を味わい、さらにろくにまともな給料も支払われませんでした。その当時、VISAの更新手続きで一度否決され、いよいよドイツ生活が怪しくなってしまったのでした。生きていくにはご飯を食べなければいけないし、お金も必要!ということで、実は美味しいまかない付きの和食レストランで、時間があるときはバイトもしました。仕事に慣れるまでは、体力的にはかなり辛かったですが、和食レストランで知り合った方々の温かさに触れて、そして美味しいまかないのお陰で、生き延びることが出来ました。

VISAの更新に行き詰まるかもしれないことは予想していたので、和食レストランでも仕事をしていることを外国人局のスタッフに告げ、「ご飯も食べれているし、贅沢もしないのでこれで生活して行けています!それに、僕はドイツを愛しています!もっとこの国で生活したいのです!今はドイツ語は下手ですが、お金が貯まったらドイツ語学校にも通います!」と、涙を浮かべながら訴えました。すると、奇跡的に一度否決されたVISAが延長されたのでした。

VISAの延長が否決される主な理由としては、

  • 収入が低過ぎる
  • 収入と家賃とのバランスが悪い
  • ドイツ語(場合により英語も可)の能力が著しく低い
  • 自主的に就職活動・転職活動、その他ドイツ社会に馴染もうと頑張る気がない(※)

などで、生活していくことが困難と判断されてしまった場合です。僕の場合は、外国人局のスタッフから、収入面での指摘がありましたが、どうにか当時の下手過ぎるドイツででも熱意を伝えることが出来ました。「あなたならきっと、大丈夫!この先も頑張って!」と言いながらVISA承認のスタンプを押された瞬間に、涙が溢れ出ました。

(※)ちなみに余談ですが、外国人局には色々なスタッフの方がいます。僕を担当してくださった方のように心優しい方の他、わざわざ意地悪な言い方をする人、きちんと書類を揃えているにも関わらず、何かよく分からない理由を告げて帰宅させようとする人がいます。わざとVISAを出したくないのか、または単純に仕事をする気がないのかと疑いたくなるような人がいるのです。英語を話そうものなら、「ドイツ語話せないの?今日はこれ以上あなたとは話しませんので、通訳を連れて来てまた改めて来てください!」と追い返されることもあります。外国人局の予約は非常に取りにくく、せっかく貴重な予約枠が水の泡、また数週間から数カ月後にリトライ!ということもあり得るのです。いくらかのお金を出してドイツ語通訳を連れて行ったにも関わらず、通訳さんに任せっきりで本人が上の空、ドイツ語を一切理解していなさそうという点を突っ込まれ、VISAが下りなかった人も過去にはいたそうです。なので、僕が友人や知人のVISA手続きに同行する際は、事前に少々演技指導もしています。積極的なアピール作戦は、実はかなり有効なのです。

憧れてやって来た国での生活開始早々、そしてその後も数年間に渡って数多くのトラブルを経験し、かなりメンタルは鍛えられたように思います。自分自身が年を取り、今では悩める若者たちの相談相手として活動したり、ドイツ語が話せないで困っている人たちに対してちょっとした手伝いを出来るようになるなんて、以前の僕の姿からは想像も出来ないことでした。何より、とにかく自信を持てなかった、何事にも一生懸命頑張り切れなかった自分自身の性格の変化には驚きです。

ところで、僕は日本にいた頃から、ずっと割といじめっ子のターゲットになりやすいタイプです。散々いじめを経験してきたので、子供のころは情けなくよく人前で泣いていました。他人から散々な扱いをされることに段々慣れて来て、いつしか涙も流れなくなったと思っていました。ドイツに来てからというもの、いじめられて辛くて泣くことはないものの、ピンチの際に、本当に多くの方々に支えて頂き、優しい励ましの言葉を頂こうものなら、涙が止まらなくなってしまうこともあります。そして、辛いと悩み落ち込んでいた友人や知人が苦難を乗り越えたとき、新たな道を見つけて、一歩踏み出したときも、一緒によく泣いていることがあります。泣き虫だった僕は、今も変わらず泣き虫です。

僕は本当に素敵な人たちに恵まれ、多くの場面で助けられました。どうして僕を助けてくださったのか、皆さんが口を揃えたように仰ることは「あなたがいつも一生懸命だから」「放っておけない気がした」ということです。10年以上住んで、困難にぶち当たるたびに「頑張らなければ!」と思えるモチヴェーションの正体がいまだハッキリと分からないままではあるのですが、僕自身が無様にもがき苦しみながらも前に進もうとする姿を見て、手を差し伸べてくださる人たちが多くいらっしゃったようです。実際に自分自身も年齢を重ね、若者たちの姿を見ては、不器用なリにも一生懸命頑張っている人たちの姿を見ると、つい応援したくなったり、自分が出来ることであれば助けてあげたいと思うことがあります。一生懸命な姿は、人の心を動かします。自分1人だけで抱え込んで成し遂げようと思わなくて良いのです。素敵な仲間を持つことも、生きていくうえで重要なことです。

今後の僕の人生目標は、僕を救って下さった方々への恩返しと、また、暗く落ち込んでしまっている人を、1人でも多く笑顔にすることです。大好きな国・ドイツの情報を発信していくとともに、前向きに色々なことに挑戦しながら、僕の人生のストーリーを通して、明るい元気、生きる楽しさを伝えて行けますように活動していきます。

当ブログ及びYoutubeチャンネルを今後ともどうぞ、よろしくお願い致します。

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